プロフィール
一般社団法人 日本ユニバーサルデザインライフ協会 [JUDeLAs/ジャデラス]
会長 曽我部 弘樹 [ Hiroki Sogabe / そがべ ひろき ]
昭和41年、
仮死状態で生まれ脳性小児マヒという障害(手足・言語)と 付き合いながら、
両親の全面的な日常介助の下、独学したパソコンを使い、自らの感じた事、様々なアイディアを色々な形で表現し 発信して来ました。 そんな50年余りの日常生活の中で感じ、蓄積されてきた「不便」・「疑問」・「不安」・「アイディア」を、何かの形で、社会に提供し、活かせないものか・・・という思い。そして、その思いに共感して頂き、背中をポンッ!と押して頂いた方々との1つの取り組みとして、一般社団法人 日本ユニバーサルデザインライフ協会を設立する事になりました。 毎日の暮らしの中で「不便」・「疑問」・「不安」は
障害の有る無しに関わらず全ての人に付き物。 そうした
「不便」・「疑問」・「不安」を
消費者・利用者のみなさまはもちろんのこと、
そのみなさまが使いやすい もの作り・スペース作りに 取り組んでいらっしゃる
自治関係機関、
そして民間の各種企業の皆様と 協力し合いながら共に、
『身の回りから使いやすくも
住みやすいにっぽん』 の創造を目指したく思っております。
どうぞ
今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
《経歴》
1985年 岐阜県立関養護学校卒業。
1988年 岐阜県へ障害者の社会参加にパソコン通信の必要性を進言。
1989年~岐阜県ふれあいパソコンネットワーク事業 運営委員就任。
1989年 障害者小規模授産所内・印刷婦にて、企画・デザインを担当。
1992年 障害の有無に関わらず自分達の思いを発する
「表現集団 発心夢体・遊 -You-」 を結成。
芸術文化の視点から心のバリアフリー化を目指す。
1994年 岐阜県へ芸術での障害者の社会参加・経済的自立のため、
障害者アートバンクの設立を進言。
翌年、岐阜県事業として
「ふれあいアートステーション・ぎふ」 が開始される。
1999年 『東海テレビひまわり賞』 受賞。
2000年 岐阜県芸術文化会議文化講座
元・岐阜県身体障害者福祉協会局長
安田 賢 氏と「ノーマライゼーションについて語る」
2001年
↓ 岐阜県芸術文化会議・理事。
2921年
2002年 《FUKU-SHI は文化だ!! 》
「アート2002」&「芸術・文化 遊論会」
(女優・石井めぐみさんとのトークショー) 企画開催
2002年 『13年度 岐阜県芸術文化奨励』 受賞。
2003年 蘇原第一小学校
そがちゃんと語ろう会/講演 テーマ 『共存・共栄について』
2011年
↓ 居宅介護支援 NPO法人「ライフ◇タクト」の副理事。
2016年
2012年 尿取りパッド関係の特許取得。
2015年 『平成26年度 岐阜県芸術文化奨励』
を 表現集団 発心夢体・遊 -You-として受賞。
2015年 障がい者の芸術文化の拠点 ぎふ清流文化プラザ
オープニングステージ 岐阜県民 ・ 障害者を代表し、メッセージ。
2016年 任意団体 日本ユニバーサルデザインライフ協会 発足。
2018年 岐阜県障がい者文化芸術支援センター[TASCぎふ]
障がい者 tomoni トータルアドバイザー 就任
2019年 一般社団法人 日本ユニバーサルデザインライフ協会 設立。
2019年 第57回 中部地区肢体不自由教育研究大会(岐阜大会)
公演 (講演)
「 暖かな光の中で・・・
~ 昭和・平成・令和
障がい児教育を通した私たちの歩み ~ 」
役員 -令和4年11月1日~令和6年10月31日
顧問 |
野田 聖子 |
野田真輝君のママ
一般社団法人 障がい者自立推進機構
衆議院議員 ほか |
顧問 |
石田 幸子 |
元・ケア・アドバイザー
『世界初・パンツ式大人用紙おむつの
発案・企画・プロデューサー』 |
会長 |
曽我部 弘樹 |
脳性小児マヒ(肢体不自由・言語障害/2級)
CG ・ 作詞作曲・ 各種発案プロデュース
|
副会長 事務局長 |
森 一毅 |
脳性小児マヒ(肢体不自由/1種1級) |
副会長 |
曽我部 直樹 |
曽我部弘樹の実弟
元・プロ野球選手
現在・プロ野球チームのスタッフ |
専務
理事 |
亀山 哲男 |
脳性小児マヒ(肢体不自由・言語障害) |
常務
理事 |
岩田 美智子 |
ケアワーカー(研修中) |
理事 |
丹羽 美智子 |
元・特別支援学校の介助員 |
監事 |
山嵜 真由美 |
アート ギャラリー経営 |
|